参拝者の絶えない本宮大社に参ったあと、大斎原へ向かう。
この、もと本宮大社のあった場所は、熊野川と音無川の合流点の中州にある。
中州というよりは、川に浮かぶ広大な島なのかもしれない。
私は、その中へ足を踏み入れることよりも、むしろそれを取り囲む音無川と熊野川を身近に感じてみたかった。
快晴の今日、熊野川はエメラルド色を発し、また広い河原の石が眩しく照り返し、なんとも明るい熊野がここに広がっている。
手前に川を入れた大斎原の写真を撮りたい。
そのためには、川の中へ入るしかないのだ。
私は、登山靴を脱ぎ捨て、恐る恐る素足で流れの中に入ってみた。
早朝の凍えるような寒さからすると、この行為は予測すら出来ないものだったが、案外水は冷たくないのが不思議だ。
それよりも、この心地良さが、なんとも新鮮なのだ。
・・・・ふと、これは三度目の禊かと思う。
そう思うと、この熊野の旅では、必ず水に身体を洗われてきた。
一回目は、海水。二回目は、雨水。そして今、川の水で。
川の中から、木々の生い茂るもともとの本宮大社を眺めていると、この場所はこうして常に川の水によって洗われ続けられているふうに見てとれる。
実に清らかな場所ということなのか。
街、海、山。
すべての光景を眺めてきたこの旅の行き着くところのひとつがここだ とすれば、この旅の意味するものに、やはりなにか水との深い関わりを感じてしまうのだった。
|