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「21世紀に残したいもの」についてお便りを募集しています。 |
『夏という季節は子供の頃の思い出が強いせいか、毎年巡ってくる度に子供達や私達の暮らしって随分変わってきたなあと感じます。
私達が子供の頃、夏に撮った写真は遊びに出かけた先でのものが多くて、写っている服装や建物を見ますと昭和と今の暮らしぶりでは本当に違うなあと感じます。
「昭和の暮らし」と言いますと、昨年3月に東京・大田区で1951年に建てられた1軒の家が「昭和の暮らし博物館」として、公開されています。「博物館」というだけあって建物だけでなく、そこでの暮らしに使われた家財道具が丸ごと保存され、50年前にはどんな道具を使って、どんな日常を送っていたか当時の暮らしが伺えるようになっているんです。館長の小泉和子さんは生活史の研究をされている方で、小泉さん自身が暮らしていた家を保存、公開して「今の暮らし、便利さだけでいいの?」と問いかけています。
今の便利な世の中に慣れると、昔の暮らしは不便で何事も時間がかかって戻れるわけがないと思いがちですが、私達は「暮らしの便利さ」をどこまで追いかけるのか、自分なりの尺度を持つことが必要なんじゃないかな?と思いますね。
例えば昨今は、料理の手間と時間を省きたい、と出来合いのもので済ませたり、外食をしたりしますが、料理をして自分なりの工夫を楽しんだり、物を作り出すという喜びはないような気がします。そしてまた、その喜びを次の世代に伝えることも出来なくなりますよね。
外での食事で、例えばバーベキューをする時に火をおこすのに、大人も子供も一緒になって四苦八苦して取り組むことで「自分がやった」という喜びや手応えがあると余計美味しく感じた、ということってありますよね。
必要以上に便利すぎる道具は手間暇をなくす以外に、この手応えを無くすことになっている気がします。
便利なものは誰でも楽に生活できる道具かもしれませんが、家事などは自分や家族が一緒に手掛ければ、それぞれの家庭に「ここまでは必要ない」という線があると思います。
暮らしの中で生活力を付ける為に、気付いたことから始めたいものです。
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2000年8月7日 毛利千代子 |
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